村木厚子は、悪法⇒小泉悪政の一つ⇒障害者自立支援法の担当だった。 | 海舌 SeaTongue@Kaisetsu
"どうなる"「障害者自立支援法」
事務局長 織田 晋平
小泉自民党の圧勝の不思議さ
「社会福祉基礎構造改革(三位一体の改革)」を01年小泉政権は打ち出したが、何ら改革は進んでいない。しかし、選挙で、「自民党はぶっ潰す、『郵政民営化』だ、改革なくしては何も進まない」と絶叫し、「改革は国民との約束だ{小泉と私(有権者)の約束と錯覚し}、国民に「郵政民営化に賛成か反対か」と?二者択一で檄を飛ばし、これまでにない、「選挙」を演出し、劇的に幻想を持たせる言い回し、その熱狂とその強引な選挙戦略は一見「権力と権威」を持っているかのように、有権者は惑わされた。また、これをもって「小泉劇場」とマスコミも持ち上げ、圧勝したと報じた。
小泉候補の選挙現場は、かってないほどに「熱狂」、その「さま」は、スタジアムでのスポーツ 観戦に似た歓声であった。郵政民営化=賛成か・反対か・"改革"改革"だとの連呼する小泉、その様を携帯で活写する。"これって"、何だろうか? 携帯を持ったサル・(岩波新書)なのか?
この選挙は、今後の「社会保障政策」などのみではなく、日本の行方(政治・経済政策)を方向付ける重要な選挙であったと考えるが、その時代認識(国際的にも)と「政治政策の内容と政策における税金の使い道」についての「論点」は、何ら認識されない選挙結果であった。
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さて、社会保障の一つであり、私たちの生活基盤を破綻させる「障害者自立支援法」は、この稿が読まれる頃には、原案のまま再提出され成立しているかも知れません、が。その意味では、第2段の闘い(対応策)をはじめなければなりません。そこで、これまでの経過や現法案の問題点や今後の「社会保障」の在りかたについて再考してみます。本稿を叩き台にし、各支部での議論、意見交換を深めて下さい。
一、「障害者自立支援法」とは何だったのか
ことの始まりは、昨年の一月厚生労働省は、「介護保険制度」へ障がい者の「支援費制度」を統合する施策を打ち出し提起し、その後、「社会保障審議会・障害者部会(8団体� �」で9月末まで審議が行われています。しかし、障害者部会での結論は出ず、他方、経済界や地方自治体などの「統合反対」を受け、厚生労働省は審議打ち切り、統合を断念したかのようでした。その渦中3団体が統合賛成を意思表示し、残された団体はあっけにとられて、これからどうすると、立ち往生したのです。
この「介護保険制度への支援費制度を統合」する狙いは、支援費制度というサービス制度の利用者が次第に増加したことで、このままでは、毎年予算増加となることを懸念し、財源の確保と利用抑制を図るための策として、税金(措置費)ではなく介護保険制度という新たな「保険料」を国民からの徴収(20歳から)し、その「保険料徴収金」の枠内(賄える限度)で「福祉サービス」を行い、サービスは� ��用度において原則一割負担とする制度に組み入れることにあり、財源増を抑制するための政策であったのです。
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その直後、10月12日、かの「改革のグランドデザイン案」という、新たな障がい者政策の方向付けしたものが提起されたのです。同案の細部は、11月頃から小出しされて、年明けて2月にその骨子として「障害者自立支援法案」が国会に上程されました。が、その内容たるや「障害者福祉政策の大転換」となる内容であったのです。
簡単に言えば、基礎年金受給(年収80万円)からも、それぞれ利用程度に応じた、「福祉サービスや医療費」について、原則一割負担としているのです。つまり、介護保険制度への「統合」ができなかったので、「支援費制度(応能負担・サービス利用者は支払い能力に応じて)」を破 綻させるための新たな戦略として、「障害者自立支援法」は提起されたのです。さらには、3年をメドに「介護保険制度への統合」を前提とした法案なのです。だからこそ、5.12・7.5の大規模な抗議行動が、東京や各地域で展開されたのです。国会でもこれらの障がい当事者・家族・関係者の活動が、国会での「審議」を促しました。厚生労働省は5月に成立の予定でしたが、全国的な抗議の声が、7月まで審議を続けさせたのです。その経過の中、「郵政民営化」法案の参議院の否決で解散になった結果、「障害者自立支援法」も廃案となったのです。
二、これからの課題
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廃案となったので再度、審議の機会があると思えましたが、選挙で圧勝した小泉政権は、衆議院議員数で3分2を有したので、参議院で否決されても衆議院議員で法案成立が可能となったのです。これは大変な事態です。国会における各種委員会で政策審議がなされ「政策」は自由に決定できる「構成(権力化)」になったのです。野党の「提起」も選挙前に較べれば、大きくその力関係は半減した事態となったのです。
そうなると、「障害者自立支援法」の撤回、もしくは「見直し」の機会を促すことができない状態です。
さて、これからの活動はどうするのか?ここで立ち止まれば、この国の「社会保障制度」というものは、すべて、「保険制度化」され、福祉サービスは「金次第」となり、「社会保障」という考え方は過去のものとなるかもしれません。医療や介護問題、年金問題、雇用問題、教育問題等、課題は残されたままです。例えば、厚生年金も国民年金の加入者は、半減する傾向ですから、すでに「制度破綻」していると思います。これは、「将来年金が貰えるか」が不安で加入しない人と、リストラ等で支払いができない人など、この10年間で労働環境の激変、派遣社員、パート労働者、フリーター、ニード等の人で、福利厚生(社会保険・雇用保険・厚生年金)制度に加入しない企 業があることと、薄給で保険料が支払えない実態があるのです。これらの雇用関係における「雇用保証・身分保障(経済政策でもある)」がなされない限り、「社会保障制度の基盤」は回復できない大きな要因です。同じく、どれだけ、国の「財源」を「社会保障制度」充てるかという「予算化」が前提です。もちろん、年金制度毎で受給格差も問題です。検討課題は山ほどあります。財政上の問題(使い道)も重要課題です。
一方、経済界・自民党では、「社会保障の財源」を国民総生産率の一割程度に抑えるべきとの考え方が「根強く」あり、それ以上の保障はやり過ぎということです。経済の変動で「社会保障」が左右するなどとんでもありません。
ハリケーンの被災地で、見舞いに訪れたブッシュの母親(元大統領夫人)が「もともと貧乏な人たちですから、避難所と食事が与えられているから十分です。」と言ったとの報道、米でも怒りが上がっています。日本の政治家の多くが、われわれ障がい者に対して「弱者」として呼称し、救済の物言いをしていますが(見せ掛けだけの物言い)、断固として"抗議"する、われわれの市民権・生活権・生存権を脅かし、「弱体化・弱者」という、「立場」に追い込んでいるのは、"政治家の「政策や政治的」な結果であるのだ"と。"それでも「政治家」なのか"。これからは、政治家や官僚に任せず、自前の「政策と税金の使い道」を作成し、「論戦」を仕掛けるしかないのです 。
福祉は、"どうなる"のではなく、"こうする"のだ、との活動するしかないのだ。
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