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2012.2.1
もう2月に入ってしまった
ということは出発まで残り2月...
今日は、昼まではホームページ作り、そして15時からバイトに来てる。今日も中華街は閑散としていて暇だ。
今いるのは横浜中華街にあるフカヒレ専門店「廣翔記」。ここで働き始めて一年程立つけど、そもそもなぜここで働いているか、そこから記録を始めてみようと思う。
……話は一年半前の2010年夏まで遡る。
2010年8月、大学生活もすでに三年目に入り、その半分が終わろうとしていた。そして、まわりの友人の言うがままにいわゆる"シューカツ戦線"へと突入.............するのかと思えた矢先だった...
と本来ならきれいにいくのであろうが、あいにく自分にはそんな展開は待ってなかった。ただ、準備もできていない状態で就活、つまり人生がきまってしまう のが恐ろしかっただけだ。だから、就活をしなかった。そのかわりに世界一周することにした。今から考えると、なぜそんな考えにいたったのかは思い出せないが、とにかくそんな調子で、相方のRyuに声をかけた。
2012.2.7
久しぶりにこんなに寝た。とりあえず緊急でやることがないから、長めに寝たつもりが12時。しかも起きたら、昨日メールしたREADYFORの高頭さんから「それでは13時-14時の間に連絡します」って、あと30分じゃん。あぶね
確か「企画について簡潔に説明できるようにしておいてください」って言われてるし、テキトウなことは言えない。とりあえず気持ちを入れるために、シャワーを浴び、パソコンを立ち上げて、電話がきた時のイメトレ開始。
そして、運命の13時に。まだ電話はこない。
少し時間があるかと思い昨日の残り物の鍋を駆け込む。
13:15まだ電話はならない。
念のため携帯を胸ポケットにいれて、臨戦態勢に入る。13:30、ブルっブルっ!!ゴングなる。さあ、いざ電話にでてみると、電話のあいては高頭さんではなく、女性でしかも思ったよりしっかりした電話。思えばこの時点で多少の動揺があったのかもしれない。簡略な説明も思ったより、スムーズに口から出てこない。そして、手ごたえのないまま終了。「後日、結果を連絡します」という事務的な口調を残して電話を切られた。しかも、canpfireとの浮気を感ずづかれたのか「他サイトとの同時掲載は不可です」ときっぱり。
しばし、意気消沈。しかし、歯医者の予定があるのですぐに出発。そしてバイトへ。 バイト先ではもう一度ロシアビザについて調べるために、青山さんのブログを再チェック。 そして、holidayRussia(?)のサイトへ。
「ロシアでは、business ビザと観光ビザがありますが、どちらかを選ぶ際には、その滞在目的ではなく滞在期間でえらんでください。短期なら観光、長期ならビジネス。ロシア領事館は特に目的を気にしていません」。。。
ここまでおっぴらげに書いていいのかよ、と思いつつもひとまず安心。とりあえず明日領事館にいろいろ電話できいてみようかな。
2012.2.8
さて、今日もバイト帰りの夜道をいつもと変わらずとぼとぼと歩いて帰ってきたわけだが、今日はいつもとは随分気持ちがちがう。そのせいか心持、背筋ものび、一歩一歩が軽くなったような感じだ。
9:00に起床した。今日はビザとルートをまとめねばならん。さすがにやばい。というわけで、早速最難関のロシアビザを調べるわけだが、調べていくうちに驚愕の事実が…
当初予定していた、伏木-ウラジオストク航路が休止に、電話をしても復旧の見込みはないという。
おい、まじか。確か、ルーシ号のあとを継ぐ韓国船が登場していたはずでは、と思っていたのだが、まさかの故障中とは。急遽、他ルートを辺り、ようやく、唯一の境港(鳥取)―韓国―ウラジオ、ルート発見。電話をすると、まだあいていてOKとのこと。よし、決まりだ。
というわけで、出発は4/7鳥取発に、なりましたとさ。
2012.2.9
最近起きるのが億劫。毎日のバイトだの、旅行の手続きだので忙しくしていると、そもそも何のために世界一周するのかわからなくなる時がある。そのときは何とも言えない虚しさに襲われる。すごいことをしたい、まだ誰もやってないことをしたい、そう思っていても、ひとたび他の人のブログをみればもっとすごい人はいくらでもいると、少し愕然とする。しかも、そうしたところの写真を見ると想像力を奪割れる感じがしてなんかやだ。想像するわくわくが存在しないからか。何がしたいのか、何をしにいくのか。ただ知らないものを見てみたいからなんだけどなー。小説や映画に出てくるような何かを見に行くのじゃなくて、小説にも映画にもでてこないのをみたい。
さて、散髪をざっとすませて、バイトに向かう途中にロ シア大使館に電話するもやはり通話中ででない。何十回とかけてもでない。だめだな。そこで青山さんにメールすると、すんなり教えてくれた。「ビザを申請するときは、可能なMAX期間を申請すべし。それはロシアでも同じ」と。それともう一つ発見が。鳥取の上組の赤嶺さん(通関をお願いしている方)と青山さんが実はしりあい。これは頼もしい。
2012.2.10
久しぶりにバイト休み。寝すぎたな。ルート地図は作った。モンゴルのLonely Planetも購入。これで今のところ、ロシア、モンゴル(この二つはPDF版を購入したのですぐにダウンロードしてみれるからお勧め、値段もペーパーバック版よりかなり割安)、中央アジア、ヨーロッパ版を購入。さすがに高まる。 その後、キャンプファイヤーからまさかの★審査通過★!素直にうれしくはある、さすがに。と同時に若干のプレッシャーでもある。まあ、気楽にいこ。
2012.2.11
やばいやばい、HP、CAMPFIRE用のプレゼン動画、やらなきゃいけんことがありすぎる。しかも、車の整備のやり方も、なにもまだ手付かず。しかし、今日は土曜日。全ては来週に持ちこしとするか笑
朝、高校の友達にサイトをみてもらう。どや、どや。とりあえず、サイトが重いと。無念! そいつの紹介で色々な人に見てもらえそうだ。草の根運動は大切なり。
2012.2.12
サイト全面刷新。以上!
2012.2.14
バレンタイン。なんですかそれ?
2012.2.15
ひさしぶりに、日記を当日更新。昨日は部活の顧問の先生に、大衆居酒屋というものに初めてつれてってもらう。
追記:素人がHPをつくるときはとにかく一度仕上げて、細かいデザインとか色とかは後から少しずつ改善するのがいいのかな。間違ってるかも。でも、すくなくともそうすることで、一度できた安心感と、どんどん改善されていく感じは精神的にも楽なことは確か。
2012.2.16
キャンプ用の動画を急がねば!
2012.2.17
バイトは休みなので、ひさびさの鎌倉へ、免許の住所変更にいく。加えて、キャンプ・サバイバル的なこともそろそろはじめようと、本を借りたり買ったるする。 その中で『サバイバル登山家』は部活の部長の坂上先生から勧められたものだが、読んでみると、ところどころ思うところがあったので引用します!
P32 「死ぬのも怖かったが、僕の場合は、定職につかないという生活で、知人や親せきから向けられるであろう冷たい視線も耐え難かった。僕はかなりの見栄っ張りで世間体にも弱かった。しかし、考えてみると、そうした冷たい視線は、自分が自分自身に向ける視線そのものだったのかもしれない。」 資格を取得することで、呪縛から抜けだそうとしているのかもしれない。そうであれば、資格を取るのもまんざら悪いことではないのではないか。もちろん、資格の知識自体はたいていまったく意味がないかもしれないが、それをとっていないことからくる無駄な劣等感や圧迫感、から開放してくれる。体育会、資格、語学力、バイト経験、それらずべての社会的見栄があってはじめて自分は世界一周にいけるのかもしれない。
2012.2.18
バイト後、深夜まで、campfire用の動画作り。眠け。これからが写真を多く撮っていこ。
2012.2.19
バイト。わけのわからんクレームで疲れた。 明日は、箱根の白銀林道へ、写真撮影してきます。初のオフロードに向けて高まる!とうとう、実写版スライドショーがスタートする。高まり。
2012.2.20
Campfire動画おわらない。あせる ロンプラ届く。これで、ほぼ全部そろう。あとはアフリカとかで適宜補充していくかんじ。
2012.2.21
Campfire動画おわらない。あせる×2
2012.2.22
Campfire動画おわらない。あせる×3。ううぉ==!
2012.2.23
いろんなことに追われて、(というより自分が先手先手でやらないのが悪いんだが)、焦ってるかも。ストレスもたまる。行きたくて世界一周いくのにこれじゃあせわない。 とにかくガーミン買ったぜ。E-bay(このサイトはじめて見たけど、ヤフオクよりやっぱ品数が段違い)で出品されてるGarmin nuvi 205(250の進化版??)$90と2465(newモデルのシンプル版)15000円でさんざん迷ったあげく、後者を購入。安心をかいました。それにしても、色々と出費がかさんでいく。それも計画外の。。。 そして、とうとうロシアのインビテーション申請だん!色々なサイトと格闘した時間のべ2時間強。ついにできた、そして、ロシアはこの煩雑さをなんとかするべき。詳細については、りかさんブログや本当に色々とお世話になっている青山さんのブログに詳しいのでそちらへ。 さあ、明日はとうとうオフロードへ。
2012.2.24
11時起床。この時点でやばい。昼過ぎには伺うと先方にツイートする。電車の中で何とかキャンプファイヤーへの申請を済ませようとするがなかなか終わらない。プロフィール写真をどうするか。レスリングのシングレット(ユニフォーム)かシングレットに長袖か。この二枚しか自分の写真がないというのもなんだか、あれだ。そして、そんな急いでるときにかぎっておきるのが人身事故。 おくれにおくれる。なんとかオフセンのある西府について、ローソンの待合室的なところで、なんとか仕上げて送ろうとする。しかしなんと、imageデータが全てサイズ、拡張子ともに指定されてた。 いや、本当に何事も先手先手にやらなくてはいかん。 とりあえずimage以外を一旦送って、残りはあとでと付け加える。提出が遅れにおくれたうえに、不完全提出とは。。。断腸のおもいではある。 さてオフセンまでの道を歩きながらも片手にはパソコンをかかえ、最終チェックをしながら歩く。すでに14:00を回っている。通り道のワークマンでつなぎを買う。なかなかかっこいい。 15時頃:オフセン着。崇さんがなにやら作業をしている。中で、廃墟専門の写真家さんの横でしばし待つ。猫ともじゃれる。そして、崇さんが入ってきて、明細をもらい、いざじゃっきあげへ。ん、なかなかオモシロイ。 そして、任意保険にはいっていない車で、なんとか帰宅をはたす。 これでなんとか本当に世界一周にいくんだなと実感する。予約していた歯医者はもちろん行く時間はなかった。
2012.2.25
記憶がないなー
2012.2.26
衝撃の事実が. . . 「車検を定員7名でとったので、海外に出すときには、そのままの定員数でいかなくてはならない!?」要するに、後部席を取っ払ってベッド化計画は不可能ということか。 絶望でしばしバイト業務手につかない。まあ、いつものことか笑
とりあえず、明日、陸運局いってたしかめねば。
2012.2.27
8:54 Ryuの電話で起床。 9:02モノレールにのる。 9:20 RYuから登録証書に必要な委任状を受け取る。車の所有者を隆にしたのがすべての始まり。 海外に車を運ぶ人は、次のことには気をつけた方がいい。
登録証書の発行、自動車保険(ネット保険はだいたい友人所有の車で自分に保険を掛けられない。一部ネットでは、1年以上の貸与契約があればおkと書いてあったがだめだった)
14:12神奈川県陸運局(?)に到着。ついてみたら車を買ったところのそばだった。そゆことね。
14:25書類上の不備で追い返される。委任状だけでは、所有者がちがう車の登録証書を自分がとることはできない。そのくるまを自分が使用しているという「貸借契約書」がいるらしい。出直すことに。
その後、JAFの東京支部(浜松町)へ、カルネの相談へ。ここで奇跡おきる。7人定員で車検をとってしまったので、海外輸出の際には後部座席をはずせないのかと思ってたが、カルネは見た目定員で発行するので、別に登録証書の定員数(こっちは車検の定員が記載される)と違ってもいいそうだ。いやまじで良かった。これで、晴れて後部をベッド様式に改造できる。
15:30東京駅へ戻る。丸善丸の内本店・八重洲ブックセンターで道路地図を購入。輸入地図でこういった大型店でないと手に入らないらしい。またここまで来たくはないので、強引に片っ端から通りそうなところの地図を買いあさること、計15000円。まあ、しょうがない。少しずつ世界一周の現実味がわいてくる。
その後はダッシュでバイトへ。今日も中華街は平和だ。ロシアのインビテーションの準備ができたようだ。
2012.2.28
こう色々準備していると、毎日のようにいい事と悪いことが次々とおきる。
2012.2.29
大船の喫茶室ルノアールで500円もするコーヒーを飲む。
2012.3.1
三月になった。朝から、オフロードセンターへ隆と二人でデリカで向かう。昼過ぎに到着し、整備代の支払いをすませ、早速デリカのヘッドライトなどのバルブ交換、ボンネット内の点検、車体の側面下についていた踏み段をとりはずす。途中で買ってきた安すぎる工具セット(2万ちかいものを買えといわれていたが、オートバックスで6000円のがあったので即決)は案の定、崇さんの駄目出しというよりもあきれられる。スポイトははじめから何も吸おうとはしない。まあそんなもんだろ。
製品カタログは何を持っているのでしょうか?
その後、事務所にもどると運よく保険屋さんがきていたので、海外旅行保険の相談を。携行品や賠償保障などは実際要らないなどなど、かなり参考になりました。
2012.3.2
昨晩の深夜に青山さんから嬉しい連絡。「明日の夜、昨年世界一周を試み、今年再チャレンジを図るりかさん(しかも、4/14の鳥取港発で俺らの次の便)、2007年にパジェロでユーラシア大陸横断済みの小川さん、と秋葉原で会うからこない?」という。こんなチャンスはないと、バイトを隆が強引に早引きお願いをして(隆はこういうとき心がつよい。俺には難しい)、ダッシュで秋葉へ。小川さんはさすが、色々と冒険をなさってるだけあって、なにやらすごい落ち着いていながらも、すごいオーラを放っている。りかさんは、事前に写真でりかさんだと思っていた人ではなかった笑(写真のもう一人の人と勘違いしてた。それぐらい、世界一周っていう感じのイメージではなかったので驚き)。とりあえず、保険のことやら、アフリ� ��のことやら、ロシア・モンゴルが5月とかまでずっと雪に覆われてるとか(えっ!草原じゃないの?って感じで少し焦る)、色々とためになる、というか絶対に知っておかなきゃいけないことをいろいろと知れて本当よかった。
その後、高校のテニス部(俺と隆は高校は硬式テニス)の同窓会へ、これまたダッシュでGO
2012.3.3
9:00起床:朝からだるい。とりあえず二度寝。
12:00二度目の起床:だいぶ体調は戻る。 さあ、今日中にデリカの改造ベッド、断熱対策、窓の網戸作成をせねば。ということで、大船のコーナンへ。結局だらだらすること3時間あまり(?)、17:00くらいにようやく帰宅。
① セカンドシートの左側(ドア側)をとりはずす(ボルト三箇所でレールもはずす)
② キャンプ用の銀に青スポンジのついた断熱シートをまどわくにカット(最初に新聞紙で型をとってからきる。少し大きめにきるとすっぽりはまる)。明日、窓にとめるようのピン的なものを買いに行こう。
2012.3.4
8:15起床・朝食 8:30作業開始:スペーシアというジョイントでつなげる(鉄?)パイプを電動カッターできる。火花が熱い。めがねに火の粉が跳ね返る。悪くない。 その後、仮組み立てしてコンパネ(木の板?)をのせて、ベッドにしよう。
2012.3.5
今日も朝から車の改造作業。 まず、ベッド枠の足りないジョイント部分を追加して、鉄パイプを少しきって高さを少し低くして、無事骨組みは完成。よし! あとは、上にのせる板を電ノコでぐいーっとカット! それに、断熱材を貼り付けて無事かんせい!今日はここまで!よっしゃ!
2012.3.6
久しぶりの部活。車で行って、道場の横で試しに車泊しようかと思って出発。途中まにあいそうもないので、というかいつもの道を通ってたらいつまにか高速の料金所にきて後戻りできなくなる。結局、少し遅れて日吉の道場につく。
約3ヶ月ぶりの運動。スパーリングも一本目からばてばて。肺が死ぬ。
300mくらいのインターバルも、まさかの重量級との最下位争い。。。無念です。
車泊しようとしたけど、疲れすぎたので、コーナンでパンチカーペット(ベッド板を覆って、断熱効果とまわりのスポンジ効果のため)を買って帰宅笑
2012.3.7
朝から全身筋肉痛のため、もう一度寝る。首が上がらない。レスリングやばいな。
11時くらいに再び起きる。飯をくおうと台所へいくと母親から「これからは自立心を高めるために昼飯はつくらない。自分でつくること」という謎のルールを告げられる。というわけで、唯一のレパートリーラーメンを食べる。
その後はまた、車の作業に取り掛かる。昨日買ったカーペットでコンパネを覆ってホチキスを打ち込んでいく、地味な作業。しかし、仕上がったときの感動はやばい。
※ 写真あり それと今日は、隆の希望だった物干し竿的なのを車内の左右の天井に設置。写真にも写っているが、これで色々ぶらさげられそう。 そしてバイトヘ。 電車内で、たまってたメールをどんどん処理してると、campfireからフィードバックという名の訂正のお願いがきた。一つ一つのプロジェクトにちゃんと対応してることに、あらためて感心感心。それにしても、いつもcampfireからのメールは夜ってどゆこと?いつ仕事してるんだろ笑
2012.3.8
今日の日記はパス。
2012.3.9
8:56 起床。
8:58 大学の成績発表に備えて背筋を正す。
9:00 ログイン。。。。そして、、、、
無事卒業、、、、やったーーー!!
ちょいのり保険に加入しようと母親のガラケーを借りにいく。東京海上日動の『ちょいのり保険』のログインしてみる。すると。。。「本日からスマートフォン対応」と記載が。いやいや、自分のiphoneには対応してないから母親の携帯でも登録できるように契約を変えたんですけど。。まあどうせiphone解約した後の4/1~4/7は必要だからいいか。とりあえず、車両保険なし(対人賠償とかロードサービス等のみ)に3日分1500円を楽天カードで契約。5分くらいですべて手続きは完了。すごいあっさり、だけど大丈夫なのだろうか。不安
追記:実際に使うことになってしまったのですが(汗)『ちょいのり保険』は電話対応もよく、すぐにJAFの方が来てくれ ました。いや、まじで入っといてよかった。
2012.3.10
昨日注文した、チェーンが朝一で届く。 これ⇒カーメイト、バイアスロン アスリートBA17で11000円ほど。1モデル前のものなので格安、しかもお願いして注文翌日に配達してもらった。何とか間にあってよかった。 昼から、ガーミンの設置台を運転席前に設置。リアラダーも何とか装着。徐々に車がぽくなってきた。いいね!ん?ちょっとラダーが斜めってる??気にしないキナシナイ! さて、あとは東北への出発まで、寝ておこうと思うが、さすがに昼ぐらいに起きたから無理。昔の写真をずべてマイクロソフトのskydriveにあげる作業を延々くりかえす。。。アップロードおそすぎ。 あとは、寝袋と毛布だけ車にぶち込んでいざ出発! デリカで初の長旅へ
2012.3.11
22:00(正確には3.10)東戸塚で友人1名を拾う。本当は総勢5名の旅立ったのだが、色々生じて結局2人旅に。まあ、予行演習してはちょうどいいか。 結局途中誰も拾う必要がなくなったので、夜通しいけるとこまでいくことに。そして福島の白河のあたりでしばしの睡眠。後ろの二台で二人ともそれぞれの寝袋に入って睡眠。寝袋の中はあったかいが、車内は結構寒くて、普通にしているとぶるぶる震えてきて、何もできそうにない。何か対策が必要だなこりゃ。 2時間あまりの休憩後ふたたび高速本線に入り北上。 しかし、30分後睡魔におそわれ再びPAに非難。1時間運転席で仮眠。 1時間後二度目の朝をむかえ、静かに車を始動させて再び北上。 石巻、気仙沼をまわり、2:30頃、陸前高田の合同追悼式会場近辺に到着した。 想像していたのとは大分違った。なんだろう、あたり一面一見すごく穏やかな空気が漂っている気もする。それほどまでに津波によってすべてを流され、家々の土塀の根本部分のみが広がっている光景は、もはや昔からそうであったかのような落ち着いた印象を与えてる気がする。すでに3.11が遠い過去の出来事のように。こんなことを言うのは不謹慎極まりないことだろうが、これもおそらくは、震災前を知らない部外者の俺らだから感じることなんだろう。会場に近づくにつれて、喪服に身を包んだ人々が会場となっている学校の校庭へと向かって歩いていくのがみえるてくる。
僕らも自然とその方向に車を進めていった。しかし、それが間違いだった。
進むにつれて歩いている人々が俺らの車に目をむける、それが横浜ナンバーであるのだから、彼らはどう思っているのだろうか。僕らは、場違いなところへ来てしまった気まずさから、車からおりることもできない。車の中と外では本当に違う世界のようだった。僕らは道を引き返す、後味の悪さだけがのこった。
海岸へ車を走らせる。途中、山道が終わり一気に海が開けたところにでると、道脇に一台の車がとまっていた。横を通りすぎるとき、ちらっとだが、おじいさんらしき人かげがみえた。きっと、その人は市内ではなく、そこで静かに1人でその時を過ごすのだろう。そして僕らは峠をこえ、だれもいない波打ち際で2:46をむかえた。ちょうど車をとめて防波堤の上にのぼったとき、市内の方からサイレンがなった。それに� �わせるように、海からは汽笛がポーポーと音をならしていた。
2012年3月11日2:46、一年後のその日、陸前高田では、穏やかな時間がながれていた。
防波堤の下にいるカモメも心なしか鳴いていたように思えた。気のせいかもしれない。
サイレンがなり終わり、海岸を離れた。そこから一気に大船渡、釜石を経て、目的地の大槌まで行く。そのころになると若干雪が降り出してきた。これが積もると帰れなくなる!
考えた結果、一気に帰れるとこまで南下することになった。真っ暗な山道を、猛吹雪の中何度かスリップしながらもどうにか抜け、途中の温泉でしばしの休息。再び車をはしらせ、高速に入る。そのころには視界がほとんど見えないほどの吹雪になっていた。
道路の白線も見えない。ただ進むのみ。さすがに、もう無理になってきたので、途中のSAで仮眠を取ることに。そして、このことがまさかの事態に発展するとは。。。
2012.3.12
朝起きてSA内のコンビににいって軽く朝食を買って車に戻る。 音楽をかけようとキーをまわす。 シュルシュルるる、、、。ん?? もう一度まわすが一向に反応はない。。。。 うぉーーーーー!!というわけでバッテリーが上がったわけだ。まさかのライトつけっぱなしによるものだった。確かに昨日はもうSAに入ると同時にダウンするかのように眠っていたから消し忘れたんだろう。ちょうど時計は02:26で止まっている。ということはだいたい2時間くらいできれたことになる。 さて、どうするか。とりあえず、まわりの人に頼むのは忍びない。しかも、おきて驚いたことに、車が駐車場の通路のど真ん中で止まってる。。。夜は雪で白線がみえなかったせいで適当にとめたからな~。とにかく、周りの目がいたすぎる。通路を通ってきた車もデリカの前でまさかのUターン。 すまぬ、皆様方。 とまあ、結局は『ちょいのり保険』に入ってたおかげで、JAFがきてくれて難を逃れたわけだが、これがロシアの人気のないところで起きたら、、、と思うとぞっとする。はなはだいい経験であった。 そして、18:00頃無事家路につく・
2012.3.13
朝から、何とかルーフキャリアを取り付ける。どうせあとでオフセンで手直ししてもらうので結構てきとー。 次に昨日思いついた、第三シートにテーブルをつけるアイディアを実現すべく、いざ4度目のコーナンへ。パイプ、ジョイントに加え、バックドアの車側の側面につける網ネット(これに歯ブラシなどの日常品をぶらさげておける!)、バックドア内側の引っ張り部分をおおうやつ、などをざっと購入。もどって、テーブル以外は設置。 バイトから帰ると、明日のカルネ申請のために書類に初めて目をとおす。。。が、量・内容ともに困難・煩雑・だるさを極度にともなう。何とか、ついている見本・青山さんのHP、などを参照しながら格闘すること4時間(04:00)やっと形ができあがる。いや~それにしてももっと早くじゅんびはすべき。それが正論
2012.3.14
7:00起床。カルネの保証人署名の欄を父親にダッシュで記入してもらい、しばし睡眠。気づいたんだが、どんなに睡眠時間が短くても、2回寝たら結構回復するもんなのね。
というわけで9:00に二度目の起床。すぐ、カルネに記載する必要のあるエンジン番号を確認しにデリカのところへ。たしか右のホイールハウス(?)にある穴からのぞけば見えるらしい。。。 ん、除いても見えないぞ。やばい、今日は朝からロシアビザの受け取りとカルネをなんとしてでも完了しなければ!だっしゅでタイヤを一度はずしてから、もういちど懐中電灯でのぞくきこむ。。。
ドキドキ。。
よしっ!あった。多分これだろというものいそいでメモしてまたタイヤを戻す。
いざ、ロシア大使館へ。途中の30分徒歩コースもなれたもの。ビザ申請のときとは違い、受け取りの場合は受付ですぐもらえる。一言も会話の交換はないまま、ガラス越しからビザ付きのパスポートがぽいっとこっち側へ渡される。しっかり確認し、あってるか確かめる。よし大丈夫だ。 1月半にも及んだロシアビザとの戦いが幕を閉じた。
しかし休んでいる暇はない。いざ、カルネ申請のためにJAF東京支局へ。実はロシア大使館からは徒歩で15分ほどのところ。 そして、担当の船津さんに書類をおそるおそる出してみる。まさかのノーミスでクリア。「それじゃあ、30日に発行しますね♪」予想外のあっけなさにびっくり、と同時に徹夜してまでの力作は必要なかったかと少ししょんぼり。それにしても、船津さんは青山さんとりかさんも担当されてて、つくづく繋がってるな~と実感。いつのまにか、僕らみたいな変な連中担当になってる笑(付け加えておくと、船津さん自身はいたって落ち着いてて、対応は本当に丁寧ですばらしい方です。)
さあばいとへ。 「準備やばいよぉーーーーーーーーー!!!」
2012.3.15
旅行は計画している時が一番楽しい
そんなことを言う人もいるし、自分もそうだった気がする。
今回はそんな気持ちになれないなー。もちろん、2カ月くらい前までは旅のことを考えるだけで目の前の嫌なことも乗り切れた。でも今は違う。
準備が間に合うかという不安、やらなければいけないことができていない焦り、そうして忙しくしているうちに何のために世界一周するのかが徐々にわからなくなっていく苛立ち。 在学中のこれまでの旅行と違い、今回は絶対に成功させなければいけないものと思い込んでいる。行ける所までいって、無理だったらあきらめればいい、そんな気持ちは一切ない。
今日の作業:友人の引っ越し手伝い、車内仕切りカーテン、後ろの網ラック設置
標準的な表記法は何か
2012.3.16
朝から、車内の第三シートのテーブルつくり。家にあまっていた床の板(?)を電ノコで切って、あとはうまい具合にパイプフレームと組み合わせる。想像以上の出来にしばしば座席に座りながら一休み。むこうでは、このテーブルがメイン作業台になるはず。 さあ、明日の部の送別会に向けて気合入れに髪切りに行きます。
2012.3.17
朝からなんとか部活までにcampfire用の修正版原稿を提出しようとするもかなわず。 そのまま、部活からの送別会へ。。。。そして、帰宅できず。。。
ホントにcampfireの担当者の方、すみません。
2012.3.18
朝早く横浜の漫画喫茶を出て、一度帰宅してから、そのままiphoneの名義変更をしてもらう予定の友人と手続きの打ち合わせに。iphoneの解約に関してまとめておこかな。
Case1:友人への名義変更 携帯の契約をそのまま家族、友人などに変更した場合、変更手数料の1980円のみでおけ。 もちろん、端末は友人に渡る。
Case2:契約を解約する この場合、解約手数料(二年契約なので、ちょうど2年目の1カ月に解約する場合は不要)1万円弱と端末代の残り、を支払うことになります。 もちろんこの場合は、端末は手に残るので、それをヤフオク等で売ることはできます。 まあ、実際は上のどっちの方が得かを判断することになると思います。 俺の場合は、iphoneのかわりにipadをもってくつもりなので、iphoneは友人に名義変更するというわけです。
作業進行:バックドアに収納用のネットを父にとりつけ(てもらうw)、③シートのテーブルを革張りに(してもらうw)
2012.3.19
Iphoneを名義変更しました。
iphone4を友人に譲渡して、3GS(32GB)を代わりに貸してもらう。これで、はやくも電話機能はなくなったー。でもまだポケットwi-fiはあるので3/31まではなんとかiphone経由でyahooメールがみれる。逆にアドレス帳とかも統一されて結構便利かも。
というわけで3時間くらいかけて、iphoneとyahooメールとgmailのアドレス帳を一つにまとめて整理してみた。これでかなり便利になった。というか実際スマホもってれば携帯のアドレスっていらないんじゃないか?PCメールならメアドの変更もあまりないし、アドレス帳とかも統一できるし。
バイトから帰って、明日のRyuとうちの両家族向けの合同説明会用の資料作り。 結局3時過ぎまでかかってしまった。。。
2012.3.20
朝から、Ryuと自分の家族(林母・父・Ryu母・父)が近所のファミレスで集まり、今回の旅についての合同説明会。Ryuとは中・高と一緒で、大学は別だが何かと一緒に色々やってたのでRyu母とも面識はあるが、お父さんとは初対面なので、少し緊張。日程やルートについて説明してから、一通りの質問にこたえて、何とか無事乗り切る。もっとちゃんとした寝袋が必要といった、なかなか色々指摘してもらって予想以上に有意義だったかな。そして、また壮行会が一個ふえた。壮行につぐ壮行。。。気分はシャトル発射前のNASA飛行士。映画『アポロ14』の出発前の家族とのバーベキューシーンみたいで、悪くはない気分。まあ、実際はアポロ14みたいになっては困るんだが笑
2012.3.21
歯医者⇒バイトーーーーー
2012.3.22
バイト⇒歯医者ーーーーー
2012.3.23
大学の卒業式へ。
眠かったが、何とか学校へ向かう。絶対雨だし当日めんどくさくて来ない人いるだろな~と思いつつ。 それでもやはり、人生最後の卒業式はなかなか楽しかった。
学生証も返却してしまったのでこれで本当に学生の肩書きがなくなってしまった。なんとなく寂しいし、それよりもこれからは学生だからという言い訳もできないのかと、少し怖い。全力でがんばらねばいかんぜよ!
2012.3.24
今日はバイト早上がりで、夕方から横浜で必要物資の調達へ。 ほぼ、荷物も整いつつある。。後は車の整備習得くらいか。。。 焦りはすごいが、ようやくここまで来たかと実感。
2012.3.25
部活の卒業旅行へ、いざデリカで箱根へ!
2012.3.26
世界一周は俺ら2人だけで行くのでは決してないのですね。オフセンの方々や、青山さん、りかさん、それに他にも、応援してくれたり、心配してくれたりする家族・友だち。みんなの思いを背負って世界一周する、そんな気がします。
こんなことを書くブログではなかったのですが、今日の事故で世界一周に対する考えが大きく変わった気がするので書いておきます。
これまで基本的になんでも本気でやればできないことはないと思ってたし、そんなのがいいと思ってた気がする。今日の事故は少なからず、そんな自分の考え方を考え直させられる機会でした。
朝方10:30にホテルをチェックアウトし、みんなに車を自慢して、みんなで集合写真(おそらく部員で撮るのは最後だったろう)をとり、二人を乗せて出発。高速 を使いながら、明治大学前駅近くの住宅地を通っていた時が、狭い曲がり角をどうにか切り抜けようとしたその時だ、バキバキバキ!!!勢い余って思いっきりバックした車体の右側面にブロック塀の角が、思いっきりぶち当たった。こするとかいうレベルでじゃない。バキバキバキという音とともに、窓ガラスは粉々に砕けながら外に飛び散った。そして最後にサイドミラーがバコ!っという音ともにへし折れた。
その瞬間、「全てが終わった。」 すぐに窓から、車側面を見てみると、ボッコリと車体が凹んでいた。 自分の中で、「これまでの1年半の間、全てを捧げてといっていいほどに準備をすすめてきたものが全て無に帰すことが、瞬時に頭をよぎった。
二人を駅まで送り届けた後、それまでは事故の衝撃から張りつめていた緊張が一気に切れ、焦っていた気持ちは、絶望に変わった。と同時に、とめどなく涙があふれでてきた。なぜ自分が泣いているか驚くと同時に、思い浮かんだのは、バイト先で必死に旅費をため続けているRyuへの申し訳なさ、そしてこれまで本当にお世話になった、オフロードセンターの斉木さんや青山さんたちに対する、謝りたい気持ちでいっぱいだった。
その時に初めて、気付いた気がする。なぜ世界一周に行くのか。これまで忙しさから考えてこなかったことへの答えは「そもそも世界一周は俺ら2人だけで行くのでは決してないということ。そこには、オフセンの方々や、青山さん、りかさん、それに他にも、応援してくれたり、心配してくれたりする家族・友人。そういった全ての人の思いを背負って世界一周しなくてはいけないのだと。」 なんだか今回はそのことに気づいていなかったことへの罰だったような気もする。本当に感謝の気持ちとその責任を感じていれば乱暴な運転はできなかったと思う。
オフセンに電話して、事故のこととこれから向かうことを崇さんに伝えた。 ついてみると、早速みてもらったがはやり想像以上に深刻な様子。それでも、すぐに知り合いのガラス屋さんやその場に居合わせた方々みんなでどうすればいいかを考えてくださった。本当にありがち気持ちでいっぱいだが、かといって自分には出来ることがない。本当に自分の力のなさを感じると同時に、いかに自分たちが助けられてきたのかを思い知らされた とにかく、応急修理はなんと今週中には終えてくれる。まさか出発日も変更しなくてもよいとは。本当に有難うございます。
2012.3.27
一度起きるが、昨日の事故から立ち直れず、二度寝。 起きてなんとかバイトへ向かう。気分は絶不調。
なんとか仕事をこなす。今日は有難いことに、バイト先の代表が僕らの送別会兼新しく入った方の歓迎会を開いてくれた。思えば、僕が入ったときも二回ほど高級中華につれてってくれたな。そんな昔のことがどんどん思い出されて、妙に寂しい気持ちになった。めちゃくちゃファンキーなバイトだったけど(オンラインショップ関連で入ったと思ったら、いきなり新店舗開店のための土木作業だったり笑)、今思えばそれが逆にすごいいい思い出のように感じられる。
有難うございました!
2012.3.28
今日も気持ちは沈み気味。
それでも、今日は高校の友人が開いてくれた僕らの送別会。 一時は延期してもらおうかとも考えたが、意気込んで「世界一周行くぜ!」と言った手前プライドが許さないので向かう。
そこで、みんなの前で挨拶したのだが、予想以上にみんなが熱心に話を聞いてくれて、気持ちがすごく楽になった。しまいには、冗談半分でもってきたカンパ用のバケツにも、どんどんお金をみんながいれてくれる。応援の言葉も、一つ一つが今の僕らには本当に響いてきた。1人1人から少しずつエネルギーをもらう、本当にそんな感じだった。みんなが応援して、期待してくれている。これは本当に頑張らねばよー!
2012.3.29
空手部のOBの方で、大学卒業後同期と二人でトラックで世界一周された方がいるらしい。レスリング部OBの方からそんな話を聞いてから是非一度お会いしたいと思っていたのだが、ついに今日会えることに。急いで支度をして、銀座(?)の辺りで待合せ喫茶店でお話を聞くことに。想像していたよりも小柄で、落ち着いた雰囲気の方だったが、話を聞く限り、これまで会った世界一周されたどんな方よりも凄まじい体験をしていた。40年も前に世界一周するんだから余程のことだと思う。ここでは書けない事がほとんどなのが残念だが、そんな話を聞いていると、僕らも何だかんだ大丈夫なんじゃないかという気になるから不思議だ。何も状況は変わってないのにだが。。。
今日はぐっすり眠れそうだ。
2012.3.31
三月が終わった。 朝から部活の新歓用チラシと冊子を仕上げる。最後くらいは頑張らないといかんし。我ながら自信作。せっかく作ったんだから新入部員入ってくれよな、さすがに。もし興味がある人がいたらこちらまで笑
昼からは、親戚のおばちゃんと隆の家族がうちにきて壮行会バーベキュー。せっかくの壮行会なのにまだ気持ちは焦りからか落ち込んだまま。気分はあがらず、淡々と飯を食う。こんな飯も当分食えないのかと思うとすこし寂しい。そもそも家で飯が食えるのって後何日なんだろう?
そして最後のバイトへ。
何だかんだ一年半も続いたバイトはこれまでなかったし、こんなに居やすかったバイトはなかったので淋しい。最後は、まさかの餞別まで頂いて、本当に感動。電気が消え、誰もいないパントリーに最後のご飯の食器を片付けにいき、暫しぼーとしてると、一年半の事が思い出されて泣きそうなった(大体怒られてしかいなかったけど笑)それにしても、めちゃくちゃファンキーなバイトだったけど、逆に1つ1つのことが凄くはっきりと思い出されるのだ。
いやー、色々と追い詰められてると、本当全ての事が大事に思えてくるなー
2012.4.1
部活は引退したはずなのに、なぜか新歓用のチラシを作るはめに。。
そんな作業を遅くまでやってたわけで、朝は寝坊からスタート。まじで準備がやばすぎるな。とりあえず、SoftBankのウルトラWi-Fiを友達に名義変更して譲渡するために、家をでる。SoftBankショップがかなり混んでるので、ちかくの100円ショップで、日本ちっくなおみやげをぎょうさん買い込む。先日お会いした大学空手部OBで40年前にトラックで世界一周した人曰く、これが海外では金の代わりになる、の言葉を信じてみたものの、こんなに必要だったかな笑
SoftBankショップにもどるとちょうど次々の番号ですぐに案内される。ただ、今日は新入社員が担当してるからか、結構色々時間かかってる。。。となりの俺は暇。てわけで、携帯をみると何故かWi-Fiが入ってるのでここぞとばかりに溜まったメールとかTwitterを処理してみる。まだ時間はかかりそうだ。
、、、、
そうだ、孫さんにTwitterでiPadの協賛頼んでみよっかな笑
早速打ち込む。
「~~協賛お願いします!」
よし、あとはキャンプファイアーのURLものせて。ツイート!
、、、あれ、送信されないぞー
もう一回やってもやっぱだめだ。字数オーバーか?
そうこうしてるうちに友達の手続きが終わったのでとりあえず店をでるが、折角考えて書いたツイートが無駄になるのはやだから、何度もやるが無理。まじかよ。
とりあえずそのまま友人と遅い昼飯を食べにラーメン屋へ
そこでも、何としてでもさっきのツイートをすべく、今度は友人のAndroid端末を借りて打ち直す。もはやキャンプファイアーのURLも手打ちだし、何回打ちなおしたことか。。
やっとのことでtweet完了、
注文したラーメンはのびきっていた。
最後に店の前で記念撮影とって、そのまま車を取りにオフロードセンターへ。
電車の中、準備がやばいあせりから気持ちは若干低め。寝不足かな?いやに電車がながく感じる
西府駅につく。遅刻してしまった、やばい。
閑散とした改札をでて、階段を降りると、隆が妙な顔で立ってる。
隆「やばいぞ!」
自分「。。いや、やばいのは知ってるよ。準備はやばいよ。」
隆「いや、孫さん!」
「ん?なんだ。。。
え、まさか!?うぉーーーーーー!!!まじか、あれか!!!嘘だろ!?」
いや、
2012.4.2
朝からRyuがうちに来て荷物の詰め込み作業。 チェーンの付け方も一応やってみる(やるの遅すぎるよな笑)
とりあえずだいたいの荷物はなんとか入りそうだ。
2012.4.3
国際免許を取りに二俣川へ
カルネを受け取りに浜松町へ。偶然、JAFでこれまで担当していただいていた船津さんにあえた(部署移動で受取は別の方と聞いていた)。最後にご挨拶で来て良かった。
そのまま、世界一周団体を作った方に飯を奢ってもらいながら話をきく。
次は、万を時してSoftBank汐留本社へ。強風で帰れなくなるかもしれないが、とにかく今日受け取らないと本当に受け取れなくなってしまうので、担当者の方にも無理を言って夕方に伺うことになっていた。
なんとかSoftBank本社につく。
受付ロビーで緊張した面持ちで待っていると、三人の方が迎えに来てくれた。すごいフランクな感じの方でひと安心。
そのまま、社員食堂につれていってもらい、簡単な貸借契約に記入するのだが、そこでまさかのサプライズが!
何と、iPad本体だけでなく、海外での携帯回線パケ放題まで負担してくださるとのこと。ということは、海外でもWi-Fiなしで使える、しかもアフリカ以外のほとんどで使えるみたいだ。。。あまりのことにテンパる。
naional貧困ラインは何ですか
そのまま写真撮影へ。社員の方限定のSoftBankショップなども見せてもらい、担当の方には本当によくしてもらい、感激です!! (欲を言えばできれば孫さんにお会いしたかったのだが。。。笑)
そして、なんとか帰宅。 Ryuの荷物を積みに家にむかい、深夜の詰め込み作業へ。 すでに1:00をすぎてる、今日も遅くなりそうだ。
2012.4.4
出発の日、、、とは思えないほど、まだ荷物が準備できてない笑予想外のことが起きたにせよ、もう少し早くからやっておくべきだった。反省。
朝からフル回転で、衣類を詰め込み、何とか昼過ぎには積み込みを終える。ようやく出発の準備が整った(のかな?)。本当はそこから、冬物のダウンとか買う予定だったが間に合わず。まあなんとかなるか。
後輩にいらないノートパソコンをあげるために、久しぶりの日吉キャンパスの部室へ。やっぱりここが一番落ち着くなー、レスリングやってるやつなんて変わったやつ人しかいないから本当に居心地がいい笑
そこで思わぬ申し出が。高校の同期で同じ部活のやつ(浪人、留年で学年は二個下だけど)が、なんと、ダウン、コート、頑丈なブーツをくれることに! いや、何が起こるか本当に分からん。有難うーまじで。
その後高校の同期と軽く飯を食いに行く。そこではじめて今回のことがYahooニュースに載ったことを知る。不思議なことにもう何が起きてもあんまり驚かなくなってた。浮かれてしまって、準備がおろそかになってしまっている自分が怖かったし、ここまできたら成り行きにまかせて、自分たちを応援、支援してくださっている皆さんの期待に全力で応えるだけだから。
一旦帰宅して、急いで最終確認にはいる。よし、いける。 最後に親にも会えて良かった。思えば、両親には本当に色々心配をかけたと思う。直前までこんなばたばたした出発、こんな軽装でいくのかと、口には出してなかったがおそらく相当不安にさせてしまったと思う。でも、大丈夫!なんとか、やっくから!そして、こんな僕らをみて「こんな簡単に世界一周に行けるんだ!?」って思ってくれる人がいたら最高でしょ(まあ、無事に帰ってこれてはじめて言えることだが、少なくとも出発はできる笑)
じゃ、行ってくる! そんな感じで家を出た。はじめて一年も家をあける訳で、不安がないと言えば嘘になるが、そんなこと考えてる暇はない。すでにRyuを迎えに行くと約束した時間にすでに一時間遅れている(ーー;)
急いでryuを拾って、ryuのお兄さんとも固い握手を交わし、いざ出発! 大船の駅まで、京都にまでいく友人、清水を迎えにいく。見送りに来てくれていた友人(見送りに誰もいないのは寂しいから半ば自分からお願いしたんだが笑)と記念撮影と、バックドアのサイン第一号として書いてもらった。
さあ、目指すは京都。
2012.4.5
朝起きる。身体中が痛い。
車泊したからか。それにしてもすでに腰が痛みでいきかけている。
昼過ぎに京都に到着。平安神宮で、鎌倉で時間がなくていけなかった成功祈願を済ませ、清水家で荷物を整理して、ステッカーやサングラスの荷物を受け取り、しばしダウン。起きてからRyuとオートバックスにオイルフィルターや替えのヘッドライトなど残りのものを調達。店員さんに世界一周すると伝えると、完全に呆れながらも色々親切に教えてくれた。よし、これでほぼ準備は整った。
2012.4.6
朝9時に起床。
今日もくそ忙しい、はずだ。
朝飯を食べに出かける。清水は俺らの見送りの為に大学のガイダンスをサボって(それが理由かどうかは知らないが)、三人でそばを食う。すぐに部屋に戻り最後の受け取り荷物である、防犯カメラショップ あい屋さんに協賛して頂いたビデオカメラを受け取る。おまけにSDカードや非常用寝袋まで頂いてしまった。本当に有難い。
すぐに荷物をまとめ、お世話になった京都のベースキャンプともおさらばだ。じゃあなー、清水ー(くされ縁で一緒にアメリカを野宿で横断したやつ)
そのまま、一路大阪へ。運転はRyu、自分は横でたまったTwitterのメッセージに必死にリプライを返す。これを見てると本当にありがい気持ちと本当に頑張らねばというプレッシャーをひしひしと感じる。
大阪につき、たまたま部活の後輩が梅田にいるということで最後の記念撮影をし、早速、公式ロゴをご好意でつくってくださったimgWorksの事務所へ行くと、いきなり代表の中澤さんが早速近くのイタリアンに連れてってくださり昼飯をおごってもらう。話を聞いてると、本屋、レンタルビデオ店、そして今のデザイン会社に経るまでに色々な苦労をなさってきた方で本当に話が面白い。
そのまま、ステッカーを車に達人技のきれいさで貼って頂き、そしてすぐさま出発!有難うございました!! 徐々にデリカがぽくなってきてる!
次は、Twitterから是非お会いしたいという方に会いに梅田へトンボ帰り。会ってみると、なんとソフトバンクの人で年は一つ上、しかも以前、自分たちと同じようにソフトバンクに海外パケ放題の協賛をしてもらって世界一周した方。いや、、、知らなかった。この間会ったshiminaoさんやルイスさんとも知り合いみたいだし、なんかあれだなー。
多分はじめからこの人たちの事を知っていたら、今回の世界一周に行こうとは思わなかっただろう。人がやったことや、みたものを再確認しに行く作業はまっぴら御免だから。(我ながら偉そうなこと言ってるな笑)
さあ、鳥取へ行こう。既に日は暮れ、真っ暗な街中、遠くのネオンの灯りだけがゆっくりゆれている感じ。これで異世界のような大阪ともおさらばだと思うと、半日もいなかった街が異様にこいしく思えてくる。結局串カツ食えなかったなー。帰ったらに持ち越しだ。
今日中に鳥取市には行かないとまずいので、少し急ぎめで兵庫を抜け、人けのない道をひたすら北上する。22:30鳥取駅についた。駅前のデカイメインストリートから少し入ったパーキングに車を停める。一日ずっと運転してたRyuはそのまま荷物を整理し、眠ったようだ。俺は満喫でたまった作業をパソコンで終わらせに。2:00頃車に戻り就寝。今日も忙しかった。
2012.4.7
おはよう鳥取県!
今日はなぜか知らんがすこぶる好調。朝、海外でつかえるように、新生銀行の資金の一部をみずほインターナショナル~に移す。書類をコピーしようとコンビニを探すがない、ない、ない。人に聞いても駅の反対側にしかないらしい。そこでふらっと、100円ショップにはいると、デリカのバックドアが落ちてこないようにできそうな、物干し竿ようのプラスチックのものをみつける。お、これいけるんじゃねということで買ってみる。早速、デリカに戻って試してみると完璧にピッタリ!!この感動は誰にも分からないだろうが…
さあ、出発だ。14:30には境港に着かねばならないのだ。急ぐぞ …と思った矢先、あれ!?おれもクロックスがないぞ。助手席で脱いだはずの相棒クロックス、早くもリタイヤか。。。駐車場で落としたのか。引き換えしたらなぜかだだっぴろい駐車場のど真ん中で、のんきに置かれてるではないか。なんとふてぶてしいやつ、俺の気もしらないで。
さお、気を取り直して今度こそ出発。 そんな中、Twitterで1人の方からリプライが �
男性「私がYuriだが……」
俺ら「……そういうことか(ーー;)。」(すみませんでした)
てな感じで車受け取りも段取も確認し今日のところは、ホステルにて泊まる。
2012.4.10
9時くらいに起きた。
ホステルの人にレジストレーションしてもらえるか聞くが、木曜までは役所が休みだからできないと言われる。そうか、ロシアの役所は月火水やすみなのか。。。。。!!?
友人からTwitterが一般向けになってつまらないと言われる。なんとも悲しい事を言ってくれるわ。確かにフォロー数が一気に増えて、どういうことを書けばいいのか、何を書いてはいけないのか、フォローの人は何を見たいのか、そんなことを考えると無難なことしかつぶやかなくなっしまってたのかもしれないな。その極みが「おはようございます」ツイート。
そんなときに言われた一言「自分らしくいけよ」
これから少し変えて行こうと思う。自分も、周りの人も面白くないものは誰がみても意味白くないよなー。
その後、街へでて、またジャンクフードとくっそ甘いコーヒー飲んで、道に迷って、プラグ変換機手に入れて、帰ってきて、また飯食いにロシア料理店入ったら中華屋で、帰って、お休みなさい。
2012.4.11
毎度のこと寝坊で始まる。約束通りユーリさんにSkypeで電話してみるも上手くつながらず。どうしよーか、迷っていると直接的ホステルまで来て下さった。何から何まで迷惑かけっぱなしだな笑
そのまま、ユーリの車に乗り、自動車保険の手続きへ。フロントガラスの真ん中あたりを横にくっきりと一筋ヒビが入ってる。聞けば、「ロシアの車はくそで、これは最低のガラスなんだ。だから割れてるのさ。」と。そんなもんだろうか。確かに、街中を走ってる車はほとんだが日本の中古車だ。「~~運送」などのマークもそのままで街中に馴染んでる。でもそれも、リーマンショック後にロシアの輸入関税が一気に上がったせいで、輸入量は激減している。そもそも、今回ロシア渡航に使おうとした、伏木-ウラジオ航路(日本の中古車� �出ルートだった)が廃止になったのもそのせいだ。日本での通関を手伝ってくれた赤嶺さんが言ってたけど、DBSフェリーも赤字で、鳥取県の補助で何とかやってるって言ってたし、ロシア行の船は今後なくなってしまうのだろうか。そうすれば、車やバイクで大陸横断するのもさらに難しくなってしまいそうで何とも悲しい。
ユーリの話では、「今日と明日の通関担当はくそ野郎だから手続きがおそくなるかもしれないよ。」まじかよ。
保険事務所らしきところでひたすらサインを書きまくる。そもそも英語の筆記体なんか書けないし、適当にぐちゃぐちゃって書くから、一つ一つが全然違う。。。大丈夫か。
とりあえず保険はおけだ。
あとは、通関手続きへ。
これも、待合室みたいなとこでまってると、いつのまにかユーリが全て終わらしてくれてた。グッジョブ!!
これでようやく明日車を受け取れる。高まる
ホステルにもどり、同じ部屋の日本人トモさん(社会人で出張のついでに寄ったらしい)にチャーハンをご馳走になる。まだこっちにきて数日しか経ってないけど、何とも日本の味はうまいな~
さあ、明日に備えて寝るかな。
2012.4.12
車を受け取りに再びフェリー事務所へ。
言葉は通じないが話は伝わったらしい。ついてこいと。とことこ後ろをついていく、何やら分からん書類にサインし、お金を払う。もちろん領収書みたいなのはない。ちなみにいまだロシアでレシートをもらったことはない。すべてニュアンスで通すのがロシアンウェイらしい。
外へつれてかれ、車を置き場みたいなとこで待たされる。暇なので隣にいた管理人らしいき人と記念写真をパシャり。すると英語で突然「ロシア イズ テリブル コラプション 」と頭を抱えながらぽつり。。
「ん?ロシアの?役人腐敗はとんでもない?」
「。。。」
「おやじ...どうしたんだ急に(--;)」
「そうか腐敗がやばいんだな。だが俺らにはどうもできん。すまんがおやじの方でなんとか頑張ってくれ。。。」
それにしてもこんな極東のはずれの街のおっさんをも悩ます腐敗とは。
なにはともあれデリカとも無事再開を果たす。とくに問題もなく一安心。そのままホステルの近くで、車のフロントガラスのところにiPad設置台を自作する。我ながらいい出来、写りもいい。試し撮りのために、南端まで動画を撮ってくるかな。
とりあえずこれが撮ってきた動画。
そして、今日はもう遅くなったので、出発は明日に。
2012.4.13
少し寝坊して8:30に起きる。昨日の予定では8:00出発だったのだが。そんなもんだろう。
ホステルの人に車に外人初のサインを書いてもらい、いざ! ついに始まったか。2010年夏から準備してきたことがやっと。
その準備期間が長いからこそ失敗できないというプレッシャーはあるし、今回は本当に多くの人に応援、そして支援してもらってるから中途半端なものでは怒られてしまうんだろうなという不安もある。実際、スライドショーは上手くいくんだろうかという不安は常にある。
ただ別に気持ちが萎えてるって訳じゃない。 多少はきつくて嫌な事じゃないとあまりやる気が起きないから、今の状況は悪くない。成功するか失敗するかわからないことだからこそやってやろうと思う。それをやってる時が一番楽しいってことだと漠然と不安になってしまうたちで、今は大変だけど後から振り返ってみんなで「あんときはバカだったよな~」って笑って話すのがいい。だから失敗しても大丈夫、その失敗がでかければでかいほど最高に笑えるから。
ウラジオストクの市街地を出て、車はひたすら北に向う。
車内のスピーカーからは雑音混じのミスチルが流れてる。
ハイウエイM60をしばらくいくと、車線がなくなった。他の車は自由を手に入れたと勘違いしたのか、高速ジグザグ走行で俺らの横をビュンビュン抜いて行く。俺らはというと一途にまっすぐゆっくりだ。ジャパニーズウェイだ。
途中、前の車が突然減速する。ダート区間始まりの合図だ。そこからは、くそゆっくりボコボコの道をぐわんぐわんに揺れながら進んで行く。この程度でもかなりの衝撃だ、こんな調子でアフリカの泥道は大丈夫なのかと少し不安にもなるが、気分は最高だ。
さらに進むと周りの景色も変わり、針葉樹林エリアに入る。季節柄、緑はなく、殺風景な大地が見渡す限り広がっている。時折、山火事だろうか、一面が炎に包まれていて、その火だけがいやに幻想的な色彩を与えてる。
変わらない景色にも飽きて寝る。起きると、どっかの駅で車は停車していた。横で隆が疲れた~と言ってストレッチしてる。時計に目をやるとすでに3時、九時に出たから5時間運転しっぱなしだから、そうだろうな。湯沸かしでお湯を作り、さっき買ったロシアンカップメンを食べる。初のロシア料理の味は格別だ。
運転を交代し、初の右車線へ。五秒で慣れた。そもそも道がバカ広いし、車線の感覚なんてないから簡単だ。
快調に飛ばしてると、ポリスチェックに捕まる。訳わからんロシア語でまくしたてられる。こっち負けじと英語でまくしたてる。お互い理解できず、向こうもこの不毛さに気づいたかあっさり通してくれた。ま、SoftBankのステッカーみて、ワオ!みたいなこと言ってたからそれが聞いたのかもしれん。さすがだ孫さんパワー(ーー;)
まだ今日の目的地ハバロフスクまでは400kmある。先を急ぐ。 簡単な夕食もすませる。よる九時ともなるとさすがにロシアも暗くなる。十時をすぎると辺り一面闇に包まれ、対抗車線のハイビームが目に当たる。一瞬何も見えなくなるから結構怖い。ばかやろう
ようやく市街地に入り、ロンプラに載ってたホテルにつく。今回こそは、レジストレーションをやらねばならんから、高い金を払ってでもホテルにとまらないといけないわけ。
そんでもってそのホテルが最悪なわけ。受付の人は、いきなり「オーマイガッ!」とか言うし、となりのマネージャーらしき人は完全に酔っ払ってる。そんなのありかよ。やっと思いで受け受けを済まして、スタヤンカ(駐車場)にいくと、モンゴロイド系の人が親切に対応してくれた。ウラジオでもそうだったけど、この辺りでは、白人とモンゴロイド系(?)の人の職種は完全に別れてるようだ。警備員や、途中でみた道路工事をしている人は決まってモンゴロイド系の人だったと思う。。。もう寝よう。
2012.4.14
朝飯はバイキング、本当の意味での初めてのロシア料理らしきもの。ここではソーセージとパンが基本セット。
レジストレーションをしてもらい(パスポートを渡したら三十分くらいですべてやってくれてた)、部屋にもどり、シャワーを浴びて気持ちを整えてから出発。とりあえず、都市部は疲れるから早く出たい。
途中、市場みたいなとこを軽く散策、ここで念願のハンチング帽子ゲット!ただ、最初500R(1500円)って言われて250Rはどうかといったらすんなりまけてくれたのがどうも気がかり。結局本当はいくらなんだ?負けた感が否めない。
ハバロフスクを出て、次の街Birobidzanへ向う。アムール川を越えたらあとはずっとシベリア鉄道と抜きつ抜かれつの併走だ。原油タンクみたいなのを100個くらい引っ張っているが、とにかくやたら長い。先頭車両がやたら重そうに見える。実際くそ遅い(ーー;)聞いたところでは平均時速40kmらしいが、確かにってところだ。
途中、凍った湖があったので車を道路脇にとめて、上を歩いてみる。おそるおそる。思ったより氷は厚くジャンプしても平気。はしゃいでると、通り過ぎてく車が「なにしてんだ~」と言わんばかりにクラクションを鳴らしながら手を振ってくる。こっちも振り返した。
車に戻りもう少し進むと今日の目的地ビロビジャンについた。
ハバロフスクから西に200km程に位置するユダヤ人自治区の街、ロンプラにはそう書いてある。1920年頃に自治区として認定されて以来ずっと増えつづけてきた人口も、イスラエル建国以降はそっちへ移る人が増え、今では4000人ほどのユダヤ人が住んでいるにすぎないらしい。 街は、歴史を感じさせる木造の一軒家が並んだだけの落ち着いた雰囲気で、シベリア鉄道の駅の前の広場と、ちょっとしたショッピングモール辺りの広場には、地元の若者があちこちにたむろしてる。その中の一人にネットカフェの場所を尋ねると、すんなり教えてくれたがその見返りに手を差し出して金をせびってきた。もちろん、そんなことにいちいち払ってられるかよ。「おーけーおーけー!」、とびきりの笑顔と握手で対応する。
まあ結局一時間以上も探し歩いたネットカフェはすでに廃業していたわけで、今日はゆっくり川岸で本でも読むことに。そして、早めに就寝。
2012.4.15
ハッピーバースデイ自分。
晴れの23歳をこんなとこで迎えるとは...ははは。
早速、朝飯を食いに行こうとするが、隆が出発するというからそうなった。隆は飯をあまり食わない。はぁ、腹減ったな~
今日も運転はまずは隆から。目指すは、西に550kmのBlagoveshchensk。読み方は知らんけど、 何やらまあまあデカい街らしい。それに中国国境の玄関口っていうのがまたいい。中露の国境紛争の辺りだろうか、想像するだけで最高だ。
幹線道路に入ってすぐ、雪がふりだし、フロントガラスを容赦なく打ち付ける。途中、雪に混じってフロントガラスに30cmくらいの細長い白い塊がバコって当たって後方に飛んでった。さっき外に置き忘れた温度計が飛んでったわけだ。「...じゃあな温度計よ。これからお前はロシアの気温を測り続けるんだ。頑張れよ」
辺り一面真っ白になってきた。視界不良もいいとこだ。
ってあぶねえ!!スリップ、スリーープ!きゅっきゅー!!
反対車線の路肩までスリップしてようやく止まった。マジで良かった。。
その後も白銀の世界(?)が果てしなく、というかうんざりするほど続く。日本の雪景色と違い(行ったことないけど)、前に続く道以外地平線の彼方まで本当に一面まっ平らな白い大地が続いてる。ぽつ~んとある木以外は見渡す限り何もない。 それでも時々、家らしきものがみえる。誰が住んでんだよ。
ブラゴヴェシチェンスクとかいう町につき近場のカフェで飯をくう。 しばらくしてそこを出て、目処をつけておいた川沿いの空き地へ車を停める。一息ついて寝支度を始めようとしていると、突然
ドンドン!!どんどん!
何かと思って運転席から横を振り向くと、若者二人が騒ぎながらドアを叩いてきた!「まじかよ」一瞬びっくりしたが、窓をあけて話してみると、日本から来た俺らに興味津々な様子。一人は英語を話せるようで、こっちも久しぶりにちゃんと話せる相手なのでちょっとテンション上がる。外に出て色々話してみるとどうやら悪い奴らじゃなさそう。んでもって、なんとそいつの家に泊まりにこないかと誘ってきたわけだ。さすがにこっちもはじめは怪しいと思ってたが、結局ついて行くことに。
車でついていきアパートに入れてもらう。英語を話せる方がアレックスで、他にもそのいとこのセルゲイにアレックスの彼女とセルゲイの奥さんがいて、そのまま家で酒とつまみをご馳走になった。どうやら今日はセルゲイの誕生日会の帰りだったらしく、俺の誕生日も今日なんだよって話したら、盛り上がってとりあえずウォッカを飲まされる羽目に(黙っておけばよかった...)。ちなみにセルゲイは俺と同い年の23でこれまた偶然。一応ロシア軍の衛生兵らしいが、腹はたぷたぷでただの飲んだくれにしか見えない。その自慢のお腹をたぷたぷすると喜ぶ変な奴だが、悪い奴じゃない。
アレックスは明日も仕事ということで今日のところは24:00ごろお開きに。
2012.4.16
朝起きてぼーとしてると、アレックスが仕事を抜け出してきてくれて、おまけに朝飯まで用意してくれた。キャラメルの入ったとんでもなく甘いシュークリームをコーヒーで流し込む。さあ中国へ出発だ。アレックスの車で銀行に中国元に両替に行くも機械故障で不可。別の銀行へ向おうと車に乗り込むと今度は車のエンジンがかからない。アレックス曰く、これがロシアクオリティーらしい。いやこれ日本車だぞ。。「ロシアクオリティー」とにかくこれがアレックスの口癖だ。ロシアのサービス対応の悪さ、産業の遅れ、そして役人腐敗、全てにうんざりしているらしく、そうしたことを常々嘆き、俺らに申し訳なさそうに謝ってくる。個人的には、別に言うほど悪いとこじゃないと思うんだけどな。
そのまま中国へ渡るためのボートチケットを買い、出国手続きを済ませる。日本人は中国へはビザなしで入れるはずだが、窓口では拒否られても知らないぞと脅されて少し不安になる。
中国へは凍った川をホバークラフトみたいので渡る。両国関係上、橋は作られてないらしい。
中国に無事入国。アレックスの言う通り、ロシアよりはるかに綺麗で整備された街中は少し意外だったが、言葉が通じないことにはかわらず、入国そうそううんざりだ。
これといってやる事もないので、ひたすら中華を食い続ける。ラーメン、焼きそば、チャーハン、麻婆豆腐、刀削麺、しまいにはケンタッキー、とはしごして大満足でロシアへ帰国。大金をはたいて何をしにきたのか甚だ疑問だがそんなもんだろう。
16:00頃ロシアに戻るとセルゲイと友達(アンドリュー)とセルゲイ父が迎えに来てくれた。そのままどっかに連れてってくれるらしい。正直、疲れきっていたのでそっとしておいて欲しい気持ちもあるが、まぁこれも縁だと迎えの車に乗り込む。
エンジンがかからない。「またか。」助手席をどかしてエンジンをいじり出した。俺らはしばしの休息。。。一向に直る兆しがない。こんな時も親父とアンドリューはビール片手だ。修復不可と諦め親父さんの友達が迎えに来てくれそのままセルゲイ家でシャワーを浴びさせてもらうことに。
シャワーから上がると、すでに隆は紅茶と肉やらチーズやらでたいそうな歓迎をされてる。俺もイスに腰かけるとすかさずウォッカが出てきた。ん?なんだこれは。親父さん曰くロシアの風呂上りはウォッカのショットって決まってるらしい。まじかよ。それにしても、いきなり来たにも関わらず家族全員で凄いもてなしをしてくれている。ちょうどイースター直後らしく真っ青に色付けされた卵をご馳走になる(ちなみにギリシャ正教で� ��るロシアのクリスマスが1/7なのには驚いた)。
途中、まじめな話になって北方領土についての率直にどう思うか聞かれた。個人的なことを答え、反対に向こうの考えを聞いてみた。彼らには、「アラスカをアメリカに売り渡して以降、また領土が縮小してしまうのでは」という危機感が常にあるのだという。だから、北方領土が日本になることには相当神経質になってるようだ。そう言った意味で、プーチン政権になって、汚職こそなくならないものの(アンドリュー曰く汚職はもはやロシアの歴史的な体質でそう簡単にはなくならないとか)、対外的に強く発言し、自国を守る意識の高いプーチンは、エリツィンよりは評価できるそうだ。もちろん今年の大統領選挙では他の候補が良くないので消去法でということもやはりあったようだが。余談だが、メドベージェフはプーチンの傀儡� �過ぎないという認識が一般的で、レーニンへの崇拝思想は高く、他方でスターリンは大量虐殺などをした事から意見は分かれるらしい。
話を戻す。仕事を済ませたアレックスが迎えに来てくれ、そのまま夕飯に連れて行ってくれるという。本当に至れり尽くせりで、どうしてここまでしてくれるのか不思議に思ってしまう程だ。
ロシアの軍隊に入ってるセルゲイは記念式典のパレードに出席しなければいけないらしく残念ながらここでお別れとなった。本当に適当ーなやつだったけどいい奴だった。
一度アレックスの家に寄ってからおしゃれなレストランに連れてってもらう。参加者は、俺らとアレックス、アンドリュー、それにセルゲイの親父さん。ついてそうそう親父さんがまたウォッカをがんがんに注いでくる。この時点ですでに10杯はこえている。とにかくこんな所で日本人に会える事は滅多にないらしく、相当嬉しいらしい。ま、俺らも楽しいからとにかく飲み続ける。初めてのまともなロシア料理、ボルシチやらポテト系のものなどたらふく食って、しかも全部の支払いもしてもらった。
飯後、なぜかロシアの熊を見に行こうとかいう話になる。本当かよと半信半疑で向かうとまじでいた。しかも普通の運送屋が飼ってるらしいから面白い。檻の中とはいえ目の前で見る迫力はすごい。その後もギリシア正教会の教会、地元の遊び場、中国側が一望できるマル秘スポットなど深夜まで色々と連れてってくれ、今日もまたアレックス家で泊めてもらった。本当にありがたい
2012.4.17
8:00にGOODモーニンぐ。早速、アレックス家のwi-fiを使わしてもらってスライドショーのアップやら日記の更新に取り掛かる。BGM、ロゴの配置と細かいとこを修正してついに完成!なかなかの完成度で我ながら見入ってしまうほど。早速YouTubeにアップして、Twitterで報告を済ませ、みんなの反応をまつ。楽しみと同時に、満足してもらえるか少し不安だ。
10:00にアレックスが見送りのために、また仕事を抜けてきてくれた。十時に出発とは伝えたもののもう少しネット使いたかったなーと思いつつも、いざ出発。快適生活も終わり、ここからはNOネットNOベッドの生活がしばらく続く。次の町は西に2000km程行ったチタだから2、3日はかかるはず。
町のはずれまでアレックスに先導してもらい、そこから二人旅の再開だ。
それにしても、今日の道はつまらん。ダート区間もなく、天気もいい。そういう方が逆に緊張感がないからすぐ眠くなってしまうもんらしい。てなわけで、そろそろ暗くなってきたから、適当なパーキング(幹線道路沿いに時々ある空き地)に停めて、今日はここまで。
2012.4.18
今日も朝から変わりばえのしない道をだらだらと進む。
一つ気がかりなのことに、手持ちのルーブルが底をつきそうだ、そして全くといっていい程に町がないから金を両替することもできない。
ガソリンもろくに入れられないから、二人の残金をはたいて1000R分だけ入れる。これでとりあえず、次の小さな町までは行ける計算だが、そもそもそこに銀行がなければ終わりだ。不安だ。
18:00ごろ小さな町につく。幹線道路をはずれ、集落へと続く細道に入る。舗装はされておらず、道路脇では所々で小さな炎が上がっている。わざとなのかそれとも自然発火なのかは分からないが、とにかく不気味だ。さらに集落の方へ入っていくと、両脇に古い木造家屋がいくつも立ち並んでいる。ほとんどが若干傾きかけていて、柵もボロボロ。これがソビエトか、と勝手に想像を膨らませていると、まさに映画の中の世界に入った感覚だが、実際に町に入ってみると結構怖い。人はほとんどが見当たらず、ゴーストタウンのようだ。野良犬だけがじっとこっちを見ている。
町の中心までくると、ボロいながらもコンクリートの建物のちらほら見えてくる。銀行もあった。しかし、時すでに遅し。すでに閉店していて、また出直してこいと言われる(言葉は分からないが多分そう言ったんだと思う)。
さてどうするか。こんな所で一夜を明かすのも嫌なので、ひとまず晩飯のカップ麺を買って幹線道路沿いのパーキングに車を停める。
20:00か、早いがもう寝るかな。明日こそは銀行で金を下ろしてからチタを目指す。そしてたまった作業を終えねばよー
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