放射能を必要以上に怖がることは「エセ科学」=カルト宗教-新聞論説から: 院長の独り言
わたしは学生時代から、患者さんと話をするのが好きでしたので、ポリクリ(臨床実習のこと)中に担当した患者さんは、個人的回診と称して、ポリクリが終わってからも病室にお邪魔していました。ポリクリで担当した患者さんがいつ退院したかは、ほぼ全員押さえてました。こんなことをやっている医学生は私だけだったと思います。。
先天性の病気を持っている小児科の子どもとは仲良くなって、おうちに友人であるエジプト人と一緒に遊びに行ったこともあります。天草の漁師の家庭で、少しだけ湾内を案内していただきました。今はもう30歳近くになっているはずです。元気にされておられますでしょうか。
さて、私がもっとも疲労困憊した科と言えば、それは間違いなく精神科です。
それは、なぜでしょう。
ほんとうのこととウソのことが混じってしまうので、こちらの精神が揺さぶられてしまうのです。
例えば、
「俺は三島由紀夫の金閣寺の執筆を教えてやった。」(これはウソ)
と自分がある程度知っている話はいいのですが、やや苦手な分野、、例えば詩とか絵画とかそんなところ・・岡本太郎と言われればよく分かるが、橘駿太郎 などと実在の人物かどうか分からないような人の名前が出てきて、さもお世話になったかのように話す。あるいは、その人の作品の寸評などを話す。そして突如として、徳光さんアナから電波の指令を受けて、いまここにいる。
と、突拍子もない話をしたかと思うと、
(患者)「小野さんが来ると、ここは天国のようになります。」
(私)「どのあたりがですか?」
(患者)「ほら、窓の外がほわーと明るくなるでしょ。だから、私には分かるんです。」
という話が出てくる。とにかく、ほんとうかウソか分からずに精神が乱され、とんでもなく精神的な疲労感がたまるのです。
こういった面(ホントと嘘とがよく分からない範囲で交差すると思考がストップする)が人間にはあると思いました。
「ホントと嘘が微妙に入り交じった文章」の好例として、本日の熊日朝刊の記事をあげてみます。(精神疾患とは、全く関係がありません。組織に属していない私的なブログですので、名誉毀損などで訴えられるような話ではないと思いますが、一応念のため記述しておきます。たんに「ホントとウソが微妙に混じると、人は自分の判断を停止してしまう」例の一つとして、上記疾患を取り上げたに過ぎません。)
江川紹子氏・・この方はオウム真理教事件で大変有名な方で� �。
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日本は、そして自分の暮らしは大丈夫なのか−。人びとの不安は高まる一方だ。そんな中で、これ幸いと活動を活発化させる人たちがいる。彼らにとって、人びとの不安はエネルギー源であり飯の種でもある。
一人で不安におびえる人に、彼らは優しく、親身になって近づく。長い話にもじっくり耳を傾ける。そうして「この人はほんとうに私のことを心配してくれている」という信頼が芽生え、「この人の言うことは正しい」となり、「この人が信じているもの(団体、人)もきっと真理(真実、正義、正解など)に違いない」と言う確信となるのに、それほど時間はかからない。
(中略)
やっかいなのは、これらの組織や活動に取り込まれた被害者は、熱心な信奉者になって行くにつれて、他の人を勧誘する加害者になっていくことだ。心から良い組織や活動と神事、人を騙そうとか、不安につけ込もうという悪意はない。なまじ善意なだけ、新たな被害者を生みやすい。
これは、オウム真理教の取材経験から書かれた文章でしょう。取材を長年されておられただけあり、文章に迫力があります。なにが真実かをはっきりとらえていないと、どうとでもとれます。江川氏は、どうかんがえているのでしょうか。次の文に筆者の考えが出ます。
世に蔓延する不安の中でも、原発事故による放射能不安はとりわけ深刻だ。政府が「直ちに健康に影響はない」と言う線量でも、「影響が出る可能性がある� �と危険性を強調する専門家もいる。
福島県では、放射能を心配するストレスで、不眠、頭痛、動悸などを訴えて、精神科を受診する人が急増している、という。
雲行きが怪しくなってきました。「直ちに健康に影響はない」という言葉は、もちろん「即死」という意味ではありませんが、今当時を振り返りますと、ほとんどウソであったのは明らかです。早過ぎたレポートをご覧ください。1mSv/hrが健康に影響がないはずがありません。
また、すくなくとも動悸で精神科を受診するのは間違いです。まず、内科的な疾患がないかを確認した上で、異常がなければ精神科に行くべきです。不整脈・心不全は、放射能被曝によって、もっとも起こりやすい症状であって、これを単にストレスで片付けてしまうのは、おおきな誤りです。
医師が
ストレスが原因ですね。
と言うときは、
原因が分かりません。
と言う意味なのです。
いきなりの精神科受診は、あまりにも乱暴で、医学的に決して許されない話です。放射能被曝をこんなに簡単に考えていただいては、ほんとうに困ります。前後の文章が正しいだけに、通常の人はこの精神科受診の下りも信じてしまいます。(このような症状の時には、精神科を受診すべき� ��んだとかんがえてしまう)
(中略)
あなたが破産申請するとき何が起こる
国が「安全」と言って推し進めてきた原発によって、かくもおおきな被害が生まれたのだ。事故当初の政府の説明も自体を過小評価するもので信用できないと思っている人が少なくないのに、国のお墨付きを持ち出しても何の説得力もない。
まさしくその通り、私も全面的に同意します。
そういう状況の中で、不安を抱く人たちの心をとらえ始めているのが、化学を装ったエセ科学だ。例えば、不安を抱く人びとに共感した上で、被災地から遠く離れた場所での鼻血や下痢も、内部被曝のためだと説明し、特定の酵素や菌、あるいは特別の水を接するすると放射能の値が下がるなどと宣伝する。
この文章は、大変� ��題です。
被災地から遠く離れた場所での鼻血や下痢も、内部被曝のためだと説明
具体的には、東京などを指しているのでしょうか。放射能は、放射能雨などになって地表に降り注ぎます。そして、それは、距離ではなく、地形、風向、天候などその時の気象に大きく左右されます。
遠く離れている = 放射能がない
訳ではありません。実際、柏、三郷などにはホットスポットと呼ばれる高線量地区があります。この点を全く無視しています。
そして、この事実を矮小化した記述に引き続いて、「特定の酵素などが放射能に効く」という常識のある人ならば、誰が考えてもウソだと考える文章が続きます。
この文章の微妙な論旨のすりかえによって、
被災地から遠く離れた場所での鼻血や下痢も、内部被曝のためだと説明
という事実も読者はウソだと感じるようになります。
さらに筆者は、念押しします。
エセ科学にも影響され、金銭的な損害を受けるだけではなく、子どもに乳製品を与える代わりに、腐敗した豆乳を与えてしまった親もいるようで、放射能よりもこちらの健康被害が心配� �れる。
たしかにこれは、おおきな問題です。ここまで文章を読み続けた読者が
被災地から遠く離れた場所での鼻血や下痢も、内部被曝のためだと説明
もウソだと断定してしまうのは、もはや疑いはありません。
このようなエセ科学に引き寄せられた人に、「あなたはまちがっている」と科学データを突きつけても反発されるだけで、その反応はカルト宗教に心を支配された人たちに近い。
今回の文章でもっとも注意すべき一文だと思います。
ここまで読んだ読者は
放射能を心配する人たち = エセ科学に心を奪われた人
とステレオタイプ化します。
放射能を心配する人たちが、いくら理を尽くして説明しても、「彼らは、カルト宗教に心を支配された人たち」だ。我々は、それに騙されないようにしなければならないと、いま日本で進行している放射能汚染の被害からも目を背けるように仕向けています。
外国人−例えば、グリーンピース−が福島で行われていることは、信じられないと言っても、頭の中では、
グリーンピース = 反捕鯨 = 日本を敵視する勢力 = 信じてはいけない
利害関係者は何を意味ですか
と判断して、話していることを全く無視させます。何しろ、カルト宗教を布教しているのがこのグリーンピースなのですから、話をきいたら洗脳されると思ってしまうのでしょう。(そのように判断させるようにこの文章は大変巧妙に書かれています。)
こんな文章を書かれてしまいますと、お母さんが自分の子どもを守りたい一心で放射能の危険をみんなに話しているのに、最初から「ああ、あの人は、放射能こわいのカルト宗教だ」とレッテルを貼らせ、話を聞かないように仕向けているのです。
そして、
今後、こうした不安を食べていく組織や活動、エセ科学は、さらに拡大していく可能性がある。
私か� ��言わせると当たり前です。内部被曝の危険性を全く無視して、汚染された土地に人を平気で住まわせ、汚染された野菜を平気で食べさせれば、日本全国で放射能被害が起き、信じられない数の被ばくが起きるのは火を見るより明らかです。日本にもはや安全な土地はないと言っていいでしょう。当然の帰結として放射能汚染に対する反対運動は、全国に広がります。その運動をエセ科学とステレオタイプ化させようとしています。読者にはこういったエセ科学には与しないようにと言うわけです。
最後の文章
私たち一人一人にできることは多くはないが、せめて、身の回りにいる人の不安な気持ちには、できるだけ共感し、寄り添っていくように心がけたい。
これは、誰が聞いても正しい。その通りです。
何となく文章の構成が分かりました。
・始まりの文章は、誰が読んでも正しいことを書く。
・文章の途中までは、自分の意見とは反対の意見をただしいかのように記述する。
・本来はただしい意見を、突拍子もないとんでもないことと結びつけることによって、ただしい意見も間違いだといった印象を植え付ける。
・最後には、また誰が読んでもただしい意見を述べる
なんと恐ろしい話ではありませんか。
この文章を読まれた「放射能を恐れるお母さん」たちの心がずたずたにされるのが目に見えるようです。そして、わずかに放射能の不安を感じていた人たちもまた、政府の発表を信じてしまう従順な日本人となってしまうことでしょう。
最後にお願いがあります。いろいろな方のブログを読んで、その通りと思われましたら、コメント欄に感想を書くようにしましょう。今のままでは、正しいことを書いてあるブログ、紹介しているtwitterで論旨をすり替える工作員が発言を行い、それが優勢となってしまい、日本全体が沈没してしまいます。「放射能をただしく怖がる」は、私に言わせると推進派の洗脳−マインドコントロール−の言葉です。この言葉を発言した時点で、その発言者がどういう主旨の発言をしようとしているのか、手に取るように分かります。
あやふやな知識ではしてやられます。(今回の論説で明らかです)放射能に対してある程度の知識を得ること。そして、経験者の心からの叫び、訴えに真剣に耳を傾けること。(橋爪文さんの話、チェルノブイリハート)そして、その内容を心から納得すること。疑う心は必要ですが、真実は一つです。以前から不思議に思っていたことが、全く別の解説で腑に落ちた場合には、それこそが真実であることを意味します。
少し話がずれました。ブログにコメントを書く。(もちろん、ペンネームでいい−いろいろなブログすべてでおなじペンネームがいいでしょう。あちこちで見かけるペンネームで親近感がわくようになります−)そういって書いていくことで
・日本語の文章が説得力を持って書けるようになる(練習が大事)
・同じような考えを持っている人が多いことが分かり、それが励みになる
・工作員の書き込みが、だんだんと浮いてきて、みんな騙されなくなる。
・ブログを書いている筆者の励みになる(工作員と違って、みんなほとんど手弁当)
これが、今のようにほとんどコメントがつかない状況(まあ、私の文章がつまらんと言われれば、返す言葉がありません)では、工作員が一人書き込んだだけで、全体の文章の信頼性が揺るがされてしまいます。 (私もできるだけ検閲はしたくありません)
彼らはマスコミを自由自在に使います。わたしには、そのような力は全くありません。
小さくてもいい、みんなで声を上げないとならない時期に来ています。
この記事に対してもまた、巧妙なtwitterがとびました。
「放射能を怖がるのではなく、嫌がるのです」
「我々素人は、ほどほどに怖がった方がいいかも」
いろいろなブログを読んで、その通りと思われたなら、一行でもいい、感想を残しましょう。コメントを読むことで勇気をもらい、感想を書くことでコメントを読む方を逆に励ますことになります。声を上げなければ、世の中は変わりません。そして、正しいからといっても、全員が簡単に受け入れてくれるわけではないのも、これまた当然のことなのです。(十分おわかりでしょう)
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